本はケチケチしないでガンガン読もう。
「読みたい本や読むべき本がたくさんあって困る」
とかツイッターで見かけるんですけど、一方、所謂大人はそんなこと言ってる暇あったら読めよとも思いますよね。
でも彼ら彼女らは本当に困ってるんです。
読むのに時間がかかるんです。つまり億劫な感じがそれをストップさせてる。
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これは当然甘えでも何でもないんです。
ツイッターで呟いてるのは大体学生です。学生って時間の使い方に問題があるというよりは、忙しいんですよね。意外ですけど。
ツイッターやるっていうのも一種の遊びです。
私も大学の頃からブログやってましたけど遊び感覚ですもん。今もそうですけど。
それは遊びたい!っていうのも含めてですけど、
「遊びたい」
欲求っていうのは食欲のようなもので生得的に仕方ないものだと思うんですよ。やりたくてしょうがない!ってやつ。
だから遊びたいから勉強できないというのも一応成り立つ話だと思います。
あと、それ以上に興味のない勉強をやらされてるってことですよ。
やりたい勉強っていうのは結局遊びと一緒ですよね。
学校でやらされる勉強の価値って20過ぎたくらいからわかってくるもんで、ふつうは勉強なんかしたくないもの。
したくないことをするのって凄く非効率ですよね。
『インストール』的学生はこれから増える
綿矢りさのデビュー作です。その次に発表したものが芥川賞の『蹴りたい背中』。
女子高生が受験勉強の環境に疲れてそこから離脱し、同じマンションに住むパソコンに詳しい小学生の男の子と二人で「ネカマ」に成りすまして架空の女性として有料エロチャットで儲けるっていう話です。
2005年の作品です。
こういう風に受験勉強に走らずにネットの力で稼ぐ人って今増えてますけど、もっと増えるし、寧ろふつうになってくるでしょう。
受験勉強は非効率って茂木健一郎さんも似たようなことをどっかで言ってましたけど、全面同意まではいかなくとも、納得できることではあります。
学校的な教育方法って有象無象をぶち込むのでどうしてもイモ洗い的になるんです。
しかも方針は基本的に東大を範に画一的、役所的なプログラムなので、古くからの官僚や兵隊を作る方法をまだ踏襲している所があります。
それを否定するのは簡単ですが、官僚や法律というのは性格上選定を踏襲するようになっているので仕方ないことです。そこは冷静な判断をするために理解せねばいかん問題だと思います。
でも過去全然変わってないかといえば変わってるわけですよ。じゃあ変わるパターンがあるってこと。
それは外国的圧力の場合もありますが、それ以外は国民側の問題で、たいていは技術革新です。
今技術革新進んでるじゃないですか。仮想通貨ですよ。
仮想通貨と言い、『サピエンス全史』でいう「認知革命」がじわじわ染み込んできてます。
これはこのままいけばベーシックインカムもすぐそこって感じがします。
『インストール』の主人公みたいに受験から離脱しちゃったほうが案外自分の求めるスキルが上がるんじゃないかと思います。
一冊の本にこだわってないで関連書とか、その本の末尾に付されているような推薦図書の類はできるだけ読んだほうがいい。
なぜなら一個の問題も複数につながるので、アメーバみたいに有機的に絡み合って体系化できます。
体系化すると大抵ある問題が立ち現れても類推できるんですよね。
だから読みたい本も読めない。
不必要なプレッシャーを抱えながら本を読むっていうのはいくら好きなこととはいえ辛いことだと記憶してます。私自身。
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